詩(記事内に詩の詳細な解説付き)【魔の手と握手】作者 光彦

詩(ポエム)

詩というものは、意味があって、だけどそれを完全に読者が理解できるのなら、もうそれは詩ではないのです。

著者が、好きなように自分の気持ちや感情を自分が理解できる形で表現しているものが本来、詩のはずです。

だけど、書いている作者自身が自分の詩を読んで感動できなければ書いている意味がありません。

そして作者自身の感動が読者に伝わるからこそ、詩は多くの人に読まれる価値があるのです。

僕は、今回から詩のあとに「解説」をつけることにしました。
詩の意味がわからない人は3倍詩を面白く読めるような解説です。

多くの人に感動してほしい。詩の意味を理解したときの驚きを体験してほしい。

ぜひ、詩の終わりにある解説まで含めて、詩を味わってください。

【魔の手と握手】作詞 光彦

心の壁がある。
自由を阻害する壁。
それは黒くない。
青く透き通ってる。

僕はね、あふれた自信が脳を大人の世界に染めながら、
失敗ばかりを繰り返して最後は自分を赤ん坊だと思うんだ。

それをストレスに感じちゃいけないって思うには、
その通りになるには、今を当たり前だと思わないことだって
それが思い通りになるからといって、それが当たり前にはならない。

言葉にしたとたん主観が客観になって感情は蒸発するって
まるで自慰行為をして解消したストレスに似てるからねそれ。
最期はストレスじゃなくなって、もがいた醜さ消えちゃった。
視線など誰からもないのに冷たい視線まで焼き付いた。

そのまま明日がフラッシュをたく。
透明なよだれまで色を反射するよ。
水たまりの中に落ちた書類はきっと全く濡れてない
脅されただけで慄(おのの)くなかれとするように。

end

こちらの詩の解説

赤ん坊だと普通は思えない。
「あふれた自信が脳を大人の世界に染める」から。
じゃあ失敗したら赤ん坊に思うのか??
それも思えない。

実は僕らのストレスは失敗したことではなく「自分のプライド」が高いからかもしれない。
自分を赤ん坊だと認めるには、もともと自分は赤ん坊だった、そのときは日本語も話せなかった。
という気づきが必要だ。
その気づきまで考え方の質を高めなければならない。

非常に難しいことなのだ。

だからこそ、見られてもいないのに冷たい視線を感じ、書類は濡れてないのに濡れたと思う。

そういう煩雑さをこの詩で表現しました。

ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました