日記7「世沙弥(セサミ)でのこと、他」(32日目6/4~34日目6/6)

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日記7「世沙弥(セサミ)でのこと、他」(32日目6/4~34日目6/6)

NO32・・・・6月4日(金)

話題1「マコなり社長の動画のブログ化」

今日は頑張ってマコなり社長の動画で紹介された掃除グッズをブログ化した。

【決定版】汚い家の特徴 & 究極の改善策 20選(まこなり社長)掃除グッズ大量紹介 家の掃除 部屋を綺麗にする 

↑ブログ化するのに5時間くらいかかっている。まずマコなり社長の動画が30分あり、それをじっくり見ながら内容を書き込んでいって、20選あるので、20個の画像を準備する。
大量の商品リンクを制作し、ブログ記事に貼り付ける。

「しょせん、マコなり社長の動画の内容をパクっただけでしょ??そんなん誰でもできるじゃん」みたいに思われたとしても、この記事を作るのには相当な手間がかかるので(笑)あんまりみんなやりたがらないと思う。

話題2「相手への不満は、自分が変わることで解消するほうがむしろ楽である」

今日の日記は、なにを書こうかもう決まっていて・・・それは「食事について」である。

母親のことを言って悪いけれど。母親の食事マナーはあんまり参考にできるものじゃない。
今日、お昼に卵焼きとウインナーを作って、テーブルに持っていき、テーブルにご飯と箸を準備した。
母親はそれをすぐに食べ始め「スープも用意して」と言って、僕にお湯を沸かさせた。

その間、母親は一人で食事している。僕と一緒にご飯というわけではなく、一人でさきに食べ始めるのだ。
普段、家族全員揃っても、料理がそろいきる前に、一人で食べ始める時がある。

これが料理をしている側からすると、なんとも苛立たしい状況で、少しは待ってくれてもいいのにと思う。
ただし僕もマナーがいいわけじゃない。一人暮らしの9年間、食事しながらなにか用事をしているとか、テレビ見ながら食べるとか、スマホいじりながら食べるとか、マナーもなにもない食事をすることが当たり前の状況を過ごしてきた。

だからこそ、この母親を見ていると、自分の食事マナーは母親譲りなのかと疑ってしまう。当然、この親とずっと赤ちゃんの時は食事をしていたわけだから、遺伝してなくても食事マナーは似てくるはず。

でもさすがに、カレーのお皿に米粒を残したまま「ごちそうさま」するようなことは僕はない。母親にはそれがある。
母親は、カレーならお皿に少し米が残っている状態で食事が終わる。そのお皿を見ていつも「汚い」印象を僕は受けるのだ。

そんなことを今日は思っていたわけだが・・・
一緒に生活するとなると、それぞれの「自然」な行動を許していかなければリラックスできないわけで、あんまり相手に問題行動を指摘するのはよろしくない。

これはメンタリストDaiGoさんから得た知識だが「相手をコントロールするより、多くの場合、自分を変えたほうが問題解決の近道です。なぜなら他人を変えるより自分を変えるほうが簡単だから」というのがある。

相手への不満は、自分が変わることで解消するほうがむしろ楽である。
まぁそりゃそうだ。
母親に食事マナーを注意したところで今日改善が見られたとしても、すぐ3日と持たずに母親は同じ食事スタイルに戻ってしまうだろう。
僕もその分、母親に多くの自由を許されているものとして、「お互い様」だと思うほうが、この場合はよっぽど正解へと生きている気がする。end

NO33・・・・6月5日(土)

話題3「近くの100均ではなく、遠くのイズミヤへメモ帳を買いに行く」

読者からしても、僕が何時になにしてたとか、そういう情報はいらないとは思うが、日記を書くとき、「どの時間にどういうことをしていたか」を僕はまず考えている。

12時に犬の散歩をして、そのあと、「YouTubeの撮影どうしようか」などと考えながら、鏡の前でスキンケアし。
スーパーセンターイズミヤへ行こうと思った。仕事で使うメモ帳が欲しかったんだ。↓

イズミヤへ行こうと出かけたのが14時くらい。でも人生なにがあるかわからないものだ。
ただメモ帳を買いに出かけただけなのに、予想もしなかった出来事が起こるのだから・・・

そもそもメモ帳なんて、歩いて5分の100円均一でも買えたのだ。
しかしイズミヤまでの距離は自転車ならゆっくり走っても30分はかかる。そういう変なことをするからなんだろうか・・・
謎の出来事に出くわしてしまうのは。

話題4「世沙弥(せさみ)にて和田さんに初めて声をかける」


↑の画像は、セサミというレストランだ。今日一番の出来事は「世沙弥(せさみ)」へ行ったことである。
大阪の塚本駅から歩いて10分くらいかかるのかな?Googleナビとかないとたどり着けない。普通に住宅街の中にあるので見つけにくい。淀川近くにあるレストランなんだけど・・・

ここには画像を見てもらえればわかる通り、芸術作品が入り口の駐車場スペースに展示されている。何回か以前にもこの店の前を通ったことがあったんだけど、今日は意図せずこの店の前を通った。
するとワゴン車が来ていて、木材で梱包された箱が置かれていた。

僕はそのいくつかの箱を見て、ご主人の和田さんに

「この作品なくなるんですか?」とたずねた。けっこう大きな声で。

僕はてっきり、この「セサミ」という店がコロナの影響で潰れるのかと思い、そのため、店の入り口の展示物を撤去しているのかと勘違いした。

話題5「米谷健+ジュリア展のアート作品を店に搬入していた」

すると、事情は全く異なり、新しいアート作品を店に搬入するということだったのだ。

なんの作品を搬入しているのか、和田さんは教えてくれた。それはなんと、

「ミツマギャラリー東京」で「米谷健+ジュリア展」という個展があって、そこで展示された作品を搬入中なのでした。↓


和田さんはどうやってこれを入手したのか?はわからないし、僕はあえて和田さんにそれを聞かなかった。
気に入って買ったとか、そういうレベルの話には思えない。

和田さんは通りすがりの名も知らぬ僕に、店の入り口にある作品のことを教えてくれた。
「楽雅臣(らくまさお)」
「加藤泉(かとういずみ)」
「新宮晋(しんぐうすすむ)」など、検索するとどれも著名なアーティストで、どれだけその名前がビッグネームなのか想像もつかなかったし、和田さんがどんなすごい世界で生きているのかも考えられなかった。
僕は和田さんからのアート作品紹介を受け、どんな反応をすればいいかわからず緊張していた。

話題6「自己紹介できなかったことを悔やむ」

和田さんに「フェイスブックやってる??Twitterは??とか聞かれたけれど、堂々と「ブログやってる」とかは言えなかった。

規模の大小に関わらず、僕もブロガーとして世界に向けて発信している立場の人間であり、「見られる側」の人間である。
それなのに「見られる」ことを恐れてどうするんだ?と思った。
僕はまだ「見られる」リスクを覚悟して、ブログをやっていないとでもいうのか??そんな葛藤のなか、和田さんにはブログを書いてることは言えなかった。名前さえ自己紹介できず、今日はただの通りすがりの人だった。

話題7「アートコレクションを見て、何者なのかわからない自分になる」

それなのに僕はこのアート作品搬入の貴重な場面を野次馬していた。
そこには恥ずかしさがあったから、
配送業者とその場にいた関係者のみんなに、コンビニでペットボトルのお茶を買って振る舞った。
すると和田さんは僕を店の中に入れて、自身で集めたアートコレクションを見せてくれた。

僕は店の中で、遠慮なく今日、初対面で名前も知らない僕を受け入れた和田さんのアートコレクションを見せてもらっていた。

そして僕は自分が何者か、わからなくなった。
7年前に北海道に住み始めた時も、自分が何者かわからなくなった感覚を感じたことがある。

そんな経験はみなさんないだろうか?

話題8「ケーキをごちそうになり、解散する」

和田さんからケーキをごちそうになり、みんなの話を店の中で聞いているとき

和田さんはずっとその場に居続ける僕を気にかけて
「もう帰っても良いよ、ケーキ食べたら帰っていいから」と言ってくれた。
でも僕は「貴重な経験をしている」という強い意識から、自己中にもすぐ帰ることはせず、結局、みんなが解散するまでそこにいた。と言っても、みんなそこまで長居はせず、16時には解散したけれど。

僕は「迷惑かけちまったなぁ」とあとで反省して、今日の貴重な経験を胸に、イズミヤのほうへ自転車をこいでいった。end

「世沙弥(せさみ)」に関するネットでの参考記事→彫刻家で「Love Stone Project」主宰の冨長敦也が世界中で感じたお話 vol.04「大阪・塚本編」

NO34・・・・6月6日(日)

話題9「ブログ記事更新のお知らせ(メンタリストDaiGoのスキンケア)」

ネタがないんですね、日記の。
言いたいことがあるとすれば・・・
とりあえずメンタリストDaiGoさんのことまたブログ化しましたので報告しておきます。

【メンタリストDaiGo】科学的に最強の格安スキンケア【高級品は金の無駄】

あと、このブログを通して商品を買ってくださった皆様、ありがとうございます。
本当に感謝です。今日は頭が回らないなぁ・・・(笑)

話題10「1年で人生が終わるとしたらどうしますか?」

最近思ったのは・・・1年で人生が終わるとしたらどうしますか?ってことですね。
別に、それについてはどうでもいいんだけど・・・

↑この動画を見ました。

面白かったのは、人の役に立つことに喜びを感じるのは限界があるということ。
それは「人の役に立っていない」と思った瞬間、生きる意味をなくしてしまうからというらしいです。
そして、この本の著者は医者で、末期の患者を命や、精神面でも救うことができないという、誰の役にも立てない自分に気づきます。

その中で本当は、「救いを求めているのは患者ではなく、自分なんじゃないか?」と気づくのです。
そうすると、なにもできない自分だからこそ、患者の苦しみを共に味わうことができるのだとも、思うようになったそうです。

話題11「死を恐れない、怖いものがないと感じた経験について」

僕はそういえば最近。

「もうすぐ死ぬんじゃないか?」ってことを感じたことがある。
もうすぐ死ぬ人がやることを、自分がやっているような錯覚を、最近感じた。
それはYouTubeの「湯沸かし大会3」の動画を更新したときだ。あのときもうすぐ死ぬのかと思うくらいに、思い残すことはなくなった気がした。
間違いなくあの瞬間だけ、死ぬことが怖くなくなった。

まるで、怖いものがないみたいで、すごく気持ちが良かった。

死ぬことを恐れるって、逆にすごく不幸なんだと今は思う。
死んでもかまわないって思う気持ちよさ。なんにでも飛び込んでいけるようなあの気持ち。

死に全力で向かっていける勇気を持った瞬間が
おそらく人生で一番の幸せを感じる瞬間だと思う。
end

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