悩みは消すことができる。そして、それには方法がある。
あらゆる悩みが消えていく「反応しない練習」草薙 龍瞬 内容紹介
私たちはこれまで「漠然と悩んでいる」状態を生きてきました。満たされなさをはっきり自覚できなかったから、いつまでも「気が晴れない」状態が続いてきたのです。
でも「満たされなさがある」「悩みがある」と理解してしまえば、「ではどうすれば解決できるか」と、思考を一歩前に進めることができます。
・それは心の反応である。
仏教の世界では、苦しみの原因は「執着」にあると、よく語られます。
執着とは、手放せない心、どうしてもしがみついてしまう、こだわってしまう、怒りや、後悔や、欲望といった思いの数々のことです。
人はなぜ、悩み、執着を手放せないのか、なぜ日頃、さまざまな問題を抱えてしまうのか。そうした悩ましい現実を作り出しているのは、”心の反応”であることが、明らかになってくるのです。
「嫌なことがあってつい腹を立てる。思い通りにいかない現実に、焦ってしまう。他人の目を感じて『何か悪いことをしてしまったのかも』と疑ったり不安になったりする」
これらはすべて「心の反応」です
心の反応はあらゆる悪影響をもたらします。怒りをぶつけて人間関係を壊してしまう。大事な場面で、つい緊張してしまって、能力を出せずに失敗してしまう。忌まわしい過去をつい思い出して「あのときああしていれば」と後悔に沈んでしまう。考えすぎて「やっぱり自分はダメな人間だ」と落ち込んでしまう・・・・・これらも全部「反応です」
心の反応こそが、人生のトラブル、悩みを惹き起こしているのです。となると、私たちが日々心がけなければいけないことはひとつです「ムダな反応をしない」ことです。
・なぜ僕らは反応してしまうのか?
つい反射的に“心の反応”を起こしてしまう根本的な原因について語ります。
第1の原因 人間には七つの欲求なるものがあります
①生存欲(行きたい)
②睡眠欲(眠りたい)
③食欲(食べたい)
④性欲(交わりたい)
⑤怠惰欲(楽をしたい)
⑥感服欲(音やビジュアルなど感覚の快楽を味わいたい)
⑦承認欲(認められたい)
欲望を存在させてしまうと「物足りない」「さみしい」「憤懣(ふんまん)」「期待しすぎ」「焦り」という気持ちを生み出すことになります。
自分の中にこれらの欲求は存在しているかどうかを見極めなければいけません。また「求めすぎていないか」を、つねに気を付けるように習慣づけたいものです。
第2の原因 怒り
イライラしている、機嫌が悪い、ストレスを感じているときは、これは「これは怒りの状態だ」と理解するようにしましょう。
なぜ怒っているのか?を理解することを習慣にすることで解消できるようになります。
放っておくと、あなたの怒りは蓄積されていきます。それは気難しい性格となって、年を取るほどに外に現れてきます。
第3の原因 妄想
これは、思い出したり、想像したり、考えたり、アタマのなかでぼんやりと何かを考えている状態です。
「あれこれと、つい余計なことを考えてしまう」「落ち着いて物事に取り組めない」という悩みの理由は「妄想」にあります。
妄想から抜け出すには「感覚」を意識する方法があります。
目を閉じて、その暗がりに何かを思い浮かべます。「今朝食べたもの」「テレビの映像」など、なんでもいいです。
そのあとに目を開けて、今見えている景色をよく見て「これが見えているという状態なんだ」と意識します。
このとき「目を閉じたときに思い浮かべたものは妄想」で「今見ているものは視覚(光)である」ということをはっきり意識してください。
妄想とそれ以外の状態とを見分けられるかが重要です。
・ムダな判断をしていませんか?
悩んでしまう理由のひとつは、「判断しすぎる心」にあります。
自分に生きる値打ちはあるとかないとか、彼より自分は優れているか劣っているかだとか、
「失敗した」「最悪」「ついてない」も判断です。
「うまくいかないのでは」という尻込みや不安。「あの人は嫌い、苦手」という人物評も判断です。
占いの運勢で自分を判断したり、人を詮索してどんな人物か判断したり、「私は正しい」と思いこんだり、自己主張ばかりしたり。
判断は、“完璧主義”や“頑張りすぎな性格”も作り出します。
「どうせ失敗する」「私には能力がない」など、結論を出してしまっている。これらは全て判断です。
・わかったふりは気持ちいい!?
なぜ人は、自分のこと他人の事、生きることの意味に至るまで判断したがるのでしょうか?
1つは、気持ちいいから、という理由でしょう。
良し悪しや、正しい、間違っているといった判断は、それだけで「わかった気」になれます。結論を出せた気がして安心できるのです。
「あの人はここが間違っている」「彼があんなことをしたから、こうなったのだ」と振り返ったり、第3者に「私って間違っていないよね?」と同意を得ようとすることもあります。それは「私はやっぱり正しいのだ」という事実を確認して承認欲求を満たしたいがための行動です。
人は判断によって、わかった気になれる気持ちよさと自分は正しいと思える快楽を得ています。
だからみんな、判断することに夢中です。
・「ない」ものを「ある」と勘違いしないために
「判断」決めつけ、思い込み、一方的な期待・要求は「執着」の一種です。これは俗にいう「心の病気」です。
たしかに、仕事や生活や将来の選択など、必要な判断はあります。「決める」ことで、心の見通しは良くなることもあります。
しかしどんな判断であれ「執着」してしまうと苦しみは生まれます
。現実はつねに「無常」・・・変わりゆくものだからです。
たとえば願いが叶わなかったという事実、その「願い」はもはや存在しない「妄想」なのです。
「執着」しているから、今なお見えるような気がしてしまいます。でも本当は存在しないものなのです。
・「つい判断してしまう」からの卒業
①「あ、判断した」という気づきの言葉
「今日はついてない」「失敗したかも」「あの人は嫌い、苦手」「自分はダメな人間」といった思いがよぎったときは「あ、判断した」と気づいてください。
判断してしまっても「まぁ、判断にすぎないけどね」と後で思い直すこともよいかもしれません。
②人は人、自分は自分という明確な境界線を引くのです。
月並みかもしれませんが、他人と同じことをする必要はありません。つねに自分の行動は自分で選び、独立して考えましょう。
③いっそのこと素直になる
自分は偉い、正しいという"慢"の心にかたまってしまうと、周囲との間に「壁」ができてしまいます。人とわかりあえなくなります。また、なにか言われると自分を否定された気がして、逆上したり、落ち込んだりと、苦悩を溜めていきます。
こうした問題は周囲ではなく「自分は正しい」という思い込みからきています。
「わたしは慢という病気にかかってしまいました」と、素直に認めましょう。
・「自由な心を取り戻す」エクササイズ
いきなり「妄想や判断をしてはいけない」と言われても、知識を深め、訓練を積まないと判断してしまうでしょう。
ここでエクササイズを紹介します。
これはつい「自分(相手)を否定してしまう」人向けのエクササイズです。
①一歩一歩と外を歩く
ひとつは散歩することです。1時間でも2時間でもいいから歩いてみてください。
このとき、身体がキャッチする「感覚」に意識を向ける(感じ取る)ようにしてみましょう。
仏教が教える「感覚が生まれる場所」は五つあります。「目・耳・鼻・口・肌」です。その一つに、これまで以上に意識を向けてください。
鼻先から入ってくる空気の匂いも、濃密さも、季節や一日の時間によって違います。冷たかったり、温かかったり、湿っていたり、乾いていたり。
外の空気は、自分自身の"閉ざされた心"とは、まったく違った新鮮なものです。その新鮮さを、呼吸しながら、嗅覚(きゅうかく)をもって、感じ取りましょう。
②広い世界を見渡す
実はあなたを「否定」してくるような人間は、自分が思っているほど多くはいないものです。
外で見かける人(お店の人や買い物客、おまわりさん)はみな、それぞれの日常を生きています。道を訊ねてみれば、親切に答えてくれることでしょう。
人を否定するという発想すらなく、毎日を一生懸命生きている人が大勢います。
③"わたしはわたしを肯定する"
「自分を否定しない」もうひとつの方法は、「ただ肯定する言葉」をかけることです。「わたしはわたしを肯定する」と、自分に言い聞かせてみましょう。
これはポジティブ・シンキングではありません。
「現実の私に対して」正しい理解を求める言葉です。
ポジティブ・シンキングは効果はあるとしても「妄想」になります。自分を否定しない、ありのままを受け止めるために
「わたしはわたしを肯定する」を強く念じつづけてください。
・えっ!欲を追いかけていいの??~欲だって「活かしよう」~
幸せへの近道は、欲求を満たしてあげることです。
たとえば、食べたいものをおいしく食べる、睡眠をとる、家族と楽しく過ごす、趣味や娯楽など五官の快楽を大切にする。
「おいしい」「楽しい」「心地よい」という反応を、積極的に行おう、と考えることになります。
承認欲も実は、活かし方次第です。「評価されたい」「感謝されたい」「ほめられたい」という願いがやる気を刺激してくれるなら、その欲求を否定する理由は、少なくともその人にとっては存在しないはずです。だからもしあなたの中に、やってみたい、チャレンジしたいことがあるなら、その欲求は大切にしてください。
その動機が「お金を稼ぎたい」「人より上にたちたい」「競争に勝利したい」といった「煩悩」であっても、目指すことに「快」があるなら、大いにやってみることです。
ただし、欲望は膨らみすぎると「焦り」「不安」「結果が出ない」「頑張っても認めてもらえない」という不満になってしまうのなら、その欲求はいったん手放さなければなりません。
・人間関係をまあるく治める「四つの心がけ」
ここで、ブッダが教える、人生の大きな心構えーー世界に対する向き合い方ーーを知っておきましょう。
それは、慈・悲・喜・捨と呼ばれる、四つの心がけです。
①【慈の心】これは、相手の幸せを願う心です。自分の都合や欲求を満たすことではなく、純粋に「相手が幸せであるように」と願う心のことです。
②【悲の心】これは、相手の苦しみ、悲しみをそのまま理解すること。相手の「悲」に共感することです。
③【喜の心】これは、相手の喜び・楽しさをそのまま理解すること。相手の「喜」に共感することです。
④【捨の心】これは、手放す心、捨て置く心、反応しない心です。「中立心」ともいいます。たとえば、欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心がけです。
慈・悲・喜・捨の心に立つと、人生はどのように変わるでしょうか。
ある男性の例を紹介しましょう。
その男性は、有名な外資系のコンサルティング会社に勤めていました。高学歴で、年収何千万円という社会的エリートです。しかし、その職場というのは、凄絶(せいぜつ)なる足の引っ張り合いでした。同僚が病気、失敗、失脚の憂き目にあうと、周りは内心ほくそ笑むというなんとも殺伐たる環境でした。
男性もまた、ストレスで胃腸をやられてしまって、胃薬を服用していると言っていました。このままでは神経がやられてしまって、胃薬を服用していると言っていました。このままでは神経がやられる。いっそのこと仕事を辞めてしまおうか、と言います。私が伝えたのは「悲の心を向けてあげてください」ということでした。
熾烈(しれつ)な競争を強いられる環境の中で、自分が我欲(買ってやる、負けるものか)で反応すれば、あっという間に、心は怒りで焼かれてしまうでしょう。
もちろん仕事を辞めるのも手でしょうが、その前に、努めるべき課題があります。「正しい動機に立つ」ことです。
正しい動機とは、悲の心にたつことです。きっと職場の人のほとんどは、安らぎを知りません。自分の中の上昇欲、プライド、虚栄心で、火に煽られるように働いていることでしょう。ストレス、疲労、猜疑心(さいぎしん)、敵愾心(てきがいしん)でいっぱいの人もいるでしょう。快の少ない心は、むなしいものです。
「なんのために働いているのか」と疑問を感じている人も多いはずです。そうした人々の苦しみを、まずは思いやること。理解すること「みんなよく頑張っているな」と思うことです。
もしそう思えるなら、世界は少し違って見えるかもしれません。欲に囚われれば、世界は狭くなります。しかし悲の心に立てば、なぜか"つながり"を感じます。
世界が広く感じられるのです。
・最後に光彦の書評
3点(5段階評価)です。
確かに「読まないと損」な内容に思う。悩みと向き合うのにとても良い本だ。同じ内容の繰り返しを多用している印象で、もうすこし読みやすければと思いました。
このブログでは紹介しなかったが「競争」は妄想らしいです。「勝ちたい」「負けたくない」って思っている人、すぐ捨てる努力をするといいですよ(^^♪