(9)「憎む側には痛みがあり、憎まれる側には痛みはない」と「憎んだからと言って」
2023年8月3日木曜日「憎む側には痛みがあり、憎まれる側には痛みはない」
どうも光彦です。
このごろは、あまり食欲がなく、
今日は、サンドイッチを朝に食べて、夜はゆで卵くらいで食事を済ませています。
炭酸水に食欲を抑える作用があると聞いて、最近「はちみつと酢」で割った炭酸水を飲んだり、
普通に外でサイダーを買って飲んだりしていますので、そのせいもあるのかと思います。
さて今日は「憎む側には痛みがあり、憎まれる側には痛みはない」ということについて考えました。
たとえば友達3人で会話をしていて、海外ドラマの話題になったところ、
2人は内容を知っていて、1人は内容を知らなかった場合、ネタバレすることは悪い事なのか?という話があります
これは僕の実体験で、会話の中で僕がドラマの内容を言おうとしたら内容を知っている友達から、
「いや、それは言ったらあかんよ、ネタバレになるから」という注意を受けたことがあるんですが・・・。
なんだかそれが僕としては「重く」感じたんですよね、まるで「お前は悪いやつだ」と言われているみたいに。
しかしおそらく「ドラマのネタバレをしたらそのドラマが面白くなくなる」というのなら、
ネタバレ無しで見たとしても、そのドラマは面白くないはずです。
話を戻します。
僕は友達から「ネタバレはあかん」と言われたわけですが、その言葉は僕を「人格否定」しているわけではありません。
しかしその言い方、友達がとった態度や雰囲気で「僕は悪者なのか?」ということを僕は感じてしまったわけです。
ですが、しばらくして僕は「はっ」としたんですよね、これは逆の話なんですよ。
つまり「ネタバレはあかん」と言った友達を僕が「悪者」扱いしているんですよね。
だから、僕のストレスはなんなのか?っていうので、それは「僕が人格否定されたように感じたから」ではなく
「僕が相手を人格否定しているから」なんですよね。
で、人間っていうのは、自分が嫌われるより、自分が相手を嫌うほうがよっぽど苦痛だと思ったんですよね。
つまり「憎まれる」側には痛みはないんですよ。でも「憎む」側には痛みがあるんです。
僕が言ってる意味、みなさんわかりますよね?
今日はこのへんで終わります
2023年8月3日木曜日。光彦より
2023年8月4日金曜日「憎んだからと言って」
今日はもう18時ですか。早くも日記を書く気がありません。
たぶん、8月5日は日記の更新はしない気がします。
僕がどういう1日を過ごしたのか?という話題を書くことはできますが、
それだと読んでもらえないのはもう過去2年間のブログ生活でわかりきっていますので・・・
ネタがない時は潔く休むことにします。
今日は昨日の話題の続きです。昨日は「人を憎んだ側には痛みがあって、憎まれる側には痛みがない」
という話をしました。
じゃあもし「人を憎んだ」場合、人間はどういう反応をするか?
という話なんですが、もうわかっている通り「怒り」ます。
そして「自分が不快な気分になった」原因を「他人のせい」にします。ここまではほとんど衝動的で、感情的な流れです。
思考停止している多くの人が自動的に、頭で考えることなくそういう流れを作ってしまいます。
10人に1人くらいは「人を憎んだ時の不快な気分」を「他人のせい」にしない人もいるとは思います。
ただ、それは言い換えれば「誰が悪で、誰が正義か」を決めつけてしまうことにも原因はあるんですが、ともあれ、人を憎んだ時に、相手を攻撃するのはできればやめておいたほうが良いです。
なぜなら他人を傷つけたところで「憎しみ」が消えることはないからです。
ということは、他人を必要以上に傷つけてしまうことになります。
他人を傷つけても「憎しみ」が消えることはないから、いくらでも加減なく傷つけてしまうんです。
そうなってくると、自分も他人から憎まれるはめになる場合があります。
それは良い事ではありません。
人を馬鹿にしていると、大なり小なり自分に返ってきます。
それは「因果応報」ではありません。
「自業自得」というものです。
自分が招いた災いは、自分が被害を受けるんです。
今日はこのへんで話を終わりにします。
明日、8月5日から日記を休む予定です。
2023年8月5日金曜日。光彦より
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