「DJ SODAが日本でセクハラされてしまう」「勝ち組じゃないと幸せではないのか?」

2023年8月16日

(14)「DJ SODAが日本でセクハラされてしまう」「勝ち組じゃないと幸せではないのか?」

2023/08/16「DJ SODAがセクハラされてしまう」

どうも光彦です。今日はですね

【韓国の有名女性DJ 日本の野外イベント出演中に性的被害あったと告白「今もまだ恐怖で手が震えてる」】というニュースがあって、ついつい読みました。

記事はこちらです(yahooニュースから)↓

https://news.yahoo.co.jp/articles/e80620eb7e519d84079406eb18415bf52f456b01

こういうニュースがありまして、ついつい読んでしまいました。

要は「韓国の有名女性DJとして知られるDJ SODAが、日本のイベントに出演し、パフォーマンス中にセクハラ被害に遭ったことを告白した。」という話です。

「何人もの人に胸を触られた」とあります。

突然のことですごくショックだったでしょう。

かわいそうに、と思います。

それに対して「露出度の高い衣装を着ているから、胸を触られる危険もある」と、辛口の意見を飛ばしてる人もおられるようです。

その意見が良いか悪いかはわかりません。

ただDJ SODAさん、批判されるのは人気の証ですよね。

100人の人がいれば、100人とも同じ意見なわけではないので、そういう意見がくるのも普通かと思っています。

僕は、胸を触られてショックだったことはよくわかりますし、ビックリされたことだろうと気の毒に思ってます。

しかし「触った人」が加害者で、触られた方が被害者という図式を作ってしまっては、自分の心の傷をえぐる状況になりかねません。

泣き寝入りしろというのではありません。

人気者だからこそ、「触った人」を悪者にして、正義を訴えて戦うのは、傷口を広げるリスクがあります。

守ってくれる人のほうが大多数だと思いますが、一部の人に新しい攻撃を受け、苦痛を味わうこともあるでしょうから。

できれば「私が正しい、私は被害者だ、」というスタンスで、話を進めずに、敵をなるべく作らないような、煽(あお)らない方向で、「セクハラにショックを受けた」ということを、伝えてもらえたら良かったかなと思います。

感情的になればなるほど、傷つくのは自分ですからね。

今日はこれで終わります。

2023/08/16 光彦より

 

2023/08/17「勝ち組じゃないと幸せではないのか?」

どうも光彦です。

8月16日は18時38分から新月だったようです。

新月って元気でないですよね(´゚д゚`)

やる気奪われてなにもする気が起きない。

ちなみに満月は8月31日のようで、2023年で1番大きい満月になるという情報があります。

(地球から距離が最も近づく満月になります)

そう聞くと、次回の満月は非常に楽しみですね(*^^*)

もうひとつすごいのは、8月は満月が2回ある月だったようです(^^)

というわけで今日の話題は

「勝ち組じゃないと幸せではないのか?」という話題です。

僕も年を取って中年に差し掛かってきました。

同年代の友人の中では、そろそろ「あいつは負け組だ」とか「あいつは勝ち組だ」とか、

人生の格差が広がる頃であると肌で感じます。

たとえ給料が同じであっても、20代と30代で積み重ねてきた人と、積み重ねてこなかった人との差だけでも、かなりの格差が予想できます。

そんな中、友達が「俺は勝ち組だ」と直接は言わなくても、遠回しに勝ち組アピールをしてきてウザい時があります。

悔やしいし、そんな友達とは付き合いたくもなくなるし、喧嘩してやろうか?という感情にもなってしまいます。

まぁ実際のところ、40歳までいかなくても、本当の勝ち組の人は、10代で既に恵まれた人生なんですがね(´゚д゚`)

見た目がアイドルみたいに美しいとか、運動神経も勉強もできるとか、、、。

その話は置いといて、

「負け組」は幸せではないでしょう。

はっきり言って、日本での底辺層は幸せではないです。

だけど「勝ち組が幸せ」というのも違います。

勝ち組の人のほうが負け組の人より先に死ぬかもしれません。

勝ち組なのに、苦しい死にかた、最悪な死に方をするかもしれません。

そこに、勝ち負けは関係ないでしょう。

ひろゆき氏は「人と比べるっていうことをする限り、幸せにはなれません」と言ってました。

「どんな世界にも上には上がいるので、結局、いくら上を目指しても、1位にはなれませんので、人と比べると不幸が待ってます」とひろゆき氏は言ってました。

仏教では六道輪廻というのがありまして、その中で「修羅道」というのがあります。

この「修羅道」というのは、阿修羅がいて、阿修羅は戦いの神で、倒しても倒しても復活してまた戦いを挑んでくるので、終わりがありません。

修羅道とは、そんな争いや怒り、他人を蹴落としてまで自分の地位を高めたい醜い欲望等で苦しむ世界です。

戦いを挑む限り、実は全ての人が「負け組」なのかもしれません。

というわけで、今日は話を終わります。

2023/08/17(木)光彦より



 

 




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