このブログ記事は、2021年6月5日(土)にアップロードした日記を再編集し、新しいブログ記事にしました。
(5)大阪塚本のアートレストラン「世沙弥(セサミ)」へ行ったこと
僕はこの日、近くの100均ではなく、遠くのイズミヤへメモ帳を買いに行く予定だった
まず僕がどうやって世沙弥まで行きついたかを説明したい
日記を書くとき
「どの時間にどういうことをしていたか」を
僕はまず考える。
12時に犬の散歩をして
そのあと「YouTubeの撮影どうしようか」などと考えながら、
鏡の前でスキンケアし。
仕事で使うメモ帳を買いに、
スーパーセンターイズミヤへ行こうと思った。
イズミヤへ行こうと出かけたのが14時くらい。
でも人生なにがあるかわからないものだ。
ただメモ帳を買いに出かけただけなのに、
予想もしなかった出来事が起こるのだから・・・
そもそもメモ帳なんて
歩いて5分の100円均一でも買えたのだ。
しかしイズミヤまでの距離は自転車ならゆっくり走っても30分はかかる。
そういう変なことをするからなんだろうか・・・
謎の出来事に出くわしてしまうのは。
世沙弥(せさみ)にて和田さんに初めて声をかける
↑の画像は、セサミというレストランだ。
今日一番の出来事は「世沙弥(せさみ)」へ行ったことである。
世沙弥の住所→〒532-0026 大阪府大阪市淀川区塚本1丁目3−30
大阪の塚本駅から歩いて10分くらいかかるのかな?
普通に住宅街の中にあるので見つけにくい
淀川近くにあるレストランなんだけど・・・
ここには画像を見てもらえればわかる通り、
芸術作品が入り口の駐車場スペースに展示されている。
何回か以前にもこの店の前を通ったことがあったんだけど、
今日は意図せずこの店の前を通った。
するとワゴン車が来ていて、
木材で梱包された箱が置かれていた。
僕はそのいくつかの箱を見て、ご主人の和田さんに
「この作品なくなるんですか?」とたずねた。けっこう大きな声で。
僕はてっきり、
この「セサミ」という店がコロナの影響で潰れるのかと思い、
そのため、店の入り口の展示物を撤去しているのかと勘違いした。
米谷健+ジュリア展のアート作品を店に搬入していた
すると、事情は全く異なり、新しいアート作品を店に搬入するということだったのだ。
なんの作品を搬入しているのか、和田さんは教えてくれた。それはなんと、
「ミツマギャラリー東京」で「米谷健+ジュリア展」という個展があって、
そこで展示された作品を搬入中なのでした。↓
和田さんはどうやってこれを入手したのか?はわからないし、
僕はあえて和田さんにそれを聞かなかった。
気に入って買ったとか、
そういうレベルの話には思えない。
和田さんは通りすがりの名も知らぬ僕に、店の入り口にある作品のことを教えてくれた。
「楽雅臣(らくまさお)」
「加藤泉(かとういずみ)」
「新宮晋(しんぐうすすむ)」など、
検索するとどれも著名なアーティストで、
どれだけその名前がビッグネームなのか想像もつかなかったし、
和田さんがどんなすごい世界で生きているのかも考えられなかった。
僕は和田さんからのアート作品紹介を受け、
どんな反応をすればいいかわからず緊張していた。
「自己紹介できなかったことを悔やむ」
和田さんに「フェイスブックやってる??Twitterは??」とか聞かれたけれど、
堂々と「ブログやってる」とかは言えなかった。
規模の大小に関わらず、僕もブロガーとして世界に向けて発信している立場の人間であり「見られる側」の人間である。
それなのに「見られる」ことを恐れてどうするんだ?と思った。
僕はまだ「見られる」リスクを覚悟して、ブログをやっていないとでもいうのか??そんな葛藤のなか、
和田さんにはブログを書いてることは言えなかった。名前さえ自己紹介できず、今日はただの通りすがりの人だった。
アートコレクションを見て、何者なのかわからない自分になる
それなのに僕はこのアート作品搬入の貴重な場面を野次馬していた。
そこには恥ずかしさがあったから、
配送業者とその場にいた関係者のみんなに、
コンビニでペットボトルのお茶を買って振る舞った。
すると和田さんは僕を店の中に入れて、
自身で集めたアートコレクションを見せてくれた。
僕は店の中で、遠慮なく今日、
初対面で名前も知らない僕を受け入れた和田さんのアートコレクションを見せてもらっていた。
そして僕は自分が何者か、わからなくなった。
7年前に北海道に住み始めた時も、
自分が何者かわからなくなった感覚を感じたことがある。
そんな経験はみなさんないだろうか?
ケーキをごちそうになり、解散する
和田さんからケーキをごちそうになり、
みんなの話を店の中で聞いているとき
和田さんはずっとその場に居続ける僕を気にかけて
「もう帰っても良いよ、ケーキ食べたら帰っていいから」と言ってくれた。
でも僕は「貴重な経験をしている」という強い意識から、
自己中にもすぐ帰ることはせず、結局、みんなが解散するまでそこにいた。と言っても、
みんなそこまで長居はせず、16時には解散したけれど。
僕は「迷惑かけちまったなぁ」とあとで反省して、
今日の貴重な経験を胸に、イズミヤのほうへ自転車をこいでいった。end
「世沙弥(せさみ)」に関するネットでの参考記事→彫刻家で「Love Stone Project」主宰の冨長敦也が世界中で感じたお話 vol.04「大阪・塚本編」
おわりに
当ブログをご覧くださりありがとうございました。
また、次回もよろしくおねがいします。