100年前の人間は現存できない

2023年11月19日

どうも光彦です。

しばらく哲学者の紹介記事が続いて、
その間に、Xも投稿しなくなって、
もう4日くらい経ちますか?
早いですね。

久しぶりに
自分の中で思ったことの
発信をしようと、
記事を書こうと思います。

100年前の人間は現存できない

僕らの命は、たかだか100年

僕らの命は、たかだか100年です。

いまこの言葉を書いているのは
2023年の11月なのですが、

今より100年前の
1923年の11月に生まれた人は、
もうこの世にはほとんどいません。
仮にいたとしても・・・
100歳。人間の終焉に近い頃です。

私は100歳の自分は
どうなっているかはわかりません。
案外、
元気ハツラツとしているのかも
しれませんが・・・
少なくとも、
その頃は社会とは無縁でしょう。
友達もみんな死んじゃっているでしょう。

僕は100年が短いと思い知った(仏教や哲学を通じて)

今、まだまだ人生は続くといえども、
もう折り返し過ぎて、
僕は50年も生きられないでしょう。

最近ブログで「哲学者の紹介」をやったり。
読書やYouTubeで「チベット仏教」をもう一回復習したりと、
新たな知識を吸収したりしているうちに、
歴史の長さ、
思想の深さに驚かされて、

「もしかしたら、人が歴史を学ぶ理由は、
100年の命の短さを知るために
学んでいるのかもしれない」

そう思えてくるように
なりました。

だからなにか?
と言うと、

たかだか100年しか生きれないのだから、
僕らは全然、偉くない。

僕らの今の時代の100年の経験なんて、
前時代の過酷さを生きた偉人の知識に比べれば、
なんて小さいのだと思う。

それで「私は賢い!!」なんて
社会人が言うならば
馬鹿まる出しだ。
誰を見下して誰に自分の賢さを
思い知らせたいのか?。

マウントばっかりとって、
なんの発展があるというのか?。

もうひとつ思うことは、

「100年しか生きれない」から、
人生はやはり大事に
生きなきゃならない。

それにはまず「大事にする」とはなにか?
真実を知らなきゃならない。

罪を犯してはいけない。
善き行動をしなければならない。

それにしたって
「罪とはなにか?」
「善きとはなにか?」を学ばなきゃならない。

そうじゃなきゃ、
人は、
ただの独りよがりで生きることになる。
「ただ自分が得をすれば良い、
相手は不幸になってもかまわない」
そんな傲慢な生き方しかできなくなる。

それじゃただの「自分の感情の奴隷」でしかない。

「私らしさ」という幻

人はしばしば

「私らしい」
「私らしくない」で
物事を決めることがある。

特に勉強をするときとか、
お金と向き合う時とか、

「私の今の立場
私にふさわしいこと」
を自動計算して選択しがちである。

確かに、正しい。
今までの人生そうやってきたのかもしれない。

でも、挫折する覚悟で
チャレンジするならば、
そこには全く見えていなかった
(今まで見ようとしても見れなかった)
世界も待っていることを、

思い出してほしい。

そして慣れてきたら、たくさん学ぼう。

ありがとうございました。

光彦より

2023年11月19日(日)

 



 

 




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