(14冊目)みすず書房「最後の詩集」長田弘 内容紹介

2021年4月25日

まずは著者の略歴を・・・

長田弘(おさだひろし)

詩人、1939年福島市に生まれる。1963年早稲田大学第一文学部卒業。
65年詩集「われら新鮮な旅人」でデビュー。
98年「記憶の作り方」で桑原武夫学芸賞。
2000年「森の絵本」で講談社出版文化賞。
09年「幸いなるかな本を読む人」で詩歌文学館賞
10年「世界はうつくしいと」で三好達治賞。
14年「奇跡-ミラクル-」で毎日芸術賞。
2015年東京都杉並区で死去。

(14冊目)みすず書房「最後の詩集」長田弘 内容紹介

この本は長田弘の死去後に出版された本である。僕はタイトルが目についたのでこの本を手に取っただけであり、長田弘のことは全く知らない。75歳没。
75歳は短命だったかもと思う。本書は15編の詩と「日々を楽しむ」と題して全国の新聞に掲載された6扁のエッセイで構成されている。

今回は詩の紹介はなし。エッセイ2つを紹介しようかなと思う。

というのも、長田弘さんの本書は、どれも専門性の高い内容になっていて、ブログに掲載しても読者が集まりにくいと思いました。今回の本は、ブログ掲載しないでおこうかとも思いましたが、この本はもうすぐ図書館に返さなきゃいけないですし、せっかく借りたのだから、少しくらいは紹介しようと思いました。

では、短いですが、どうぞよろしくお願いします。

↓↓↓↓

「探すこと」

探すこと。ときどきふと、じぶんは人生で何にいちばん時間をつかってきたか考え
る。答えはわかっている。いつもいちばん時間をつかってきたのは、探すことだった。
探すというのは、いまここにないものを探すということ。ただそれだけのことなの
だが、ただそれだけどころか、実際はきわめて不条理、不可解。
というのも、それがないと気づくまでは、それがないということに気づかないのが
、ないものであるからだ。しかも、なぜないか、どうしてないか、原因も理由も不明、
全然思いあたらない、わからないのが、ないものであるからだ。
記憶にはちゃんとのこっている。けれども、確かめたくても、探そうにも探しよう
ないままの一枚の写真。1946年4月の新制小学校の入学式にクラス全員で撮った
はずの写真。はっきり覚えている。日差しの明るい、学校の咲きほこる花壇の前で撮
ったが、わたしは友人と騒いでいて、先生に注意されたはず。
しかし、写真を撮った情景こそ覚えてはいても、写真そのものを見た覚えも、その
写真をかつて持っていた覚えもない。そのくせ、写真がないという空白の感覚だけが
はっきりと記憶にのこっている。


探すというのは、ないと知って探すことがすべてではないのだ。本もそうだ。本の
楽しみは、わたしの場合、本屋にゆく楽しみであり、本屋は、そこにゆくまで思って
もいなかった本に遭遇する場所だった。
知っている本ではなく、知らない本のあるところだったから、本屋で知ったのは
それまで知らなかった本を探すおもしろさだ。(キーワードなんかなしに)ゆき当た
りばったり、偶然の幸運を手に入れるまで、勘を当てに、何を探しているかわからず
に探す。
そのように、探すことが精神のフィッシングであるような時間とは逆に、ただただ
理不尽な結果しかもたらさない、もっとも奇妙なないものはと言えば、それは、たと
えば靴下だ。日常、人間しかはかない靴下には、どうしようもない謎がある。
靴下は左右二つで一足。ところが、洗濯のあとには、片方だけなくなって、どこか
に消えてしまうこと一再ならず。洗って乾して蔵う。それだけのあいだに、どこにな
くなってしまうのか。しかる一度たりとも、なくなった片方が見つかったことがない。
探しても徒労。太古から裸足(はだし)の神の悪戯(いたずら)としか思えない。
人間は探す生き物。探し探して無に終わる、虚しくも愛すべき生き物。

「ドアは開いている」

「ドアはつねに開いている」。このところつづけて耳にした決め言葉だ。
「対話のドアはつねに開いている」と語ったのはこの国を代表する政治家。「すべ
ての選手に対しドアは開いている」と語ったのはサッカー代表チームの監督。たぶん
そうした言葉に、まだ見えていない展望への希望と期待を託して伝えようとしたにち
がいない。

「ドアは開いている」(英語で「ザ.ドア·イズ·オープン」)は、ドアをノックさ
れたら 「どうぞ」と返す、日常の平凡な返し言葉だ。けれども、である。状況が変わ
ると、それは、途端に一変してしまうような言葉でもある。

言い争い、けんかして、揚げ句に「ドアはつねに開いている」と言えば、それは
「出ていけ」という意味 になるし、

その通り「ドアはつねに開いている」(「ザ·ドア.イズ.オールウェイズ·オープン」)というカントリーの名曲に歌われると、それはやるせない限りの意味になる。恋人が出ていった家で、男はなすすべもなく、帰
ってこない女をただ待っている。ドアはつねに開いている。


この世は戸の閉められた世界ではない。「戸はつね に開いている」と言ったのは
古代ローマの哲学者エピクテートスだった。「要するに、戸が開いているということを、記憶しておくがいい」

「もしきみに益がなければ、戸は開いている。もし益があれば、がまんするがいい。
というのは、すべてに対して、戸は開いているはずであり、かくて、何も面倒はない
からだ」(鹿野治助訳)

人は何をなすべきかだと思いきりよく生きたエピクテートスに後に正面から向き合
ったのは、たとえば、人は何をなしうるかだとした近世の思想家パスカルだったが
気ぶっせいな日に読んで効くのはエピクテートスだ
目に見える成果を早くと訴える人に、 エピクテートスは答えて言った。

「大事なことは何事でも突如として生ずるものではない。一個のいちじくでもそう
だ。もしきみがいまわたしに、じぶんはいちじくがほしいと言うならば、わたしはき
みに、時間が必要だと答えよう。まず花を咲かせるがいい。次に実を結ばせるがいい。
それから熟させるがいい。
いちじくの実は、突如として、そして一時間のうちに出来上がらないのに、きみは
人間の心の実を、そんなに短時間に、やすやすと所有したいのか。わたしはきみにい
うが、それは期待せぬがいい」

 

最後に、光彦の評価

★★(5点中2点)

一般大衆向けの本ではない(エロいとかそういう意味ではなく、内容が濃いため、著者に理解ある人でないと難しいと思う)。エッセイがあるのが救い。

ありがとうございました。また次回会いましょう。

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