なぜイイネをもらったら嬉しいと思ってしまうのか?【X(旧Twitter)】

2023年11月11日

どうも光彦です。
今回のブログは、自分の悩みに
仏教の知識を混ぜながら話を進めています。
参考なれば幸いです。

なぜイイネをもらったら嬉しいと思ってしまうのか?

テーマ1「X(旧Twitter)でイイネをもらうと嬉しいと思うこと」

X(旧Twitter)でイイネをもらえると
僕は嬉しいと思う。
でもイイネをもらえないと、
悲しくなる。

だから僕は「イイネが欲しい」と欲望してしまうし、
ツイート(ポスト)するときは、イイネが欲しいと思ってしまう。

仏教ではそれが煩悩になる。

煩悩とは??

※煩悩とは、悟りを妨げる苦しみの根本のことです。

たとえば、欲望があったら、欲しい物が手に入らない苦しみを味わう。
もし手に入れたとしても、将来それを失う苦しみ(無常)を味わう。
欲望する限り、苦しみから逃げられない。

煩悩がある限り、人間は冷静に物事を見ることはできない。
悟りとは「知恵」という意味も含まれているので、
煩悩に支配される人は「知恵を失ってバカになる」という解釈にもなる。

ただし、食べる、寝る、トイレする等の、生きるための活動の欲望は例外です。ちなみに、食べるとか寝るも行き過ぎると煩悩になるという「中道」の教えも仏教にあるが、それは今回は割愛。

では、そもそも、
イイネをもらったら嬉しいと思ってしまうのはなぜか?
それは、過去の自分の経験で思考が固定されてしまった結果である。

「イイネをもらったら優秀」という固定概念が
自分の意識に刷り込まれているのである。

イイネをしてくれた人が、
ちゃんと私のツイートを見ているかどうか?
意見に同意してくれているかどうか?
わからないし、
義理でイイネを
してくれているかもしれないのに、

イイネをもらったら、
僕はイイネに対する一番最初の先入観が「嬉しい」になってしまうのだ。

その結果が「イイネがもらえなかったらストレスになる」
という結果を産んでしまうし
「他の人のツイート(ポスト)が自分のツイートより
イイネが多かったら嫉妬してしまう」
という、
悪い感情(=人との争いを産む感情)につながってしまう。

そうした欲望が「不幸」の発端を作っているのだ。

でも僕はイイネをもらうと嬉しいと思うし、
ツイートする時はイイネをもらえるように考える。

そのせいで僕はX(旧Twitter)をすると嫌な気持ちになる。

心の底から「Xをやるのに向いてない性格」だと思う。

テーマ2「自分の経験からくる心の反応の間違いについて」

これは、
ちょっと言葉で言うのは難しいのですが・・・

自分の経験からくる知識は「正しい知識」ではない。

たとえば「かわいい人」と自分を比べて
「私は不細工(劣等感)」と思ってしまうのは
自分の経験が
なぜか自分に
そう思い込ませているだけであり、
「相手がカワイイから私は自分を不細工に感じる(劣等感)」というのは、

自分が不細工である理由になっていないので、知識として間違っているのである。

でも、感情が最初に「私は不細工」とか、
「私にはできない、苦手だ」とか
反応してしまうのは、
自分の経験からでしか
物事を判断できない煩悩からきている。

その煩悩は、
いわゆる「邪見」という煩悩で、
「邪見」とは、
間違った知識を信じることである。

たとえば、昨日まで殺せなかった生き物を、
今日から殺すことが平気になった場合、

「私は殺せる」という邪見が自分に染みつき、
明日以降、それが自分の知識になってしまう。

それゆえ、
間違った判断、間違った知識で
自分の行動が決まってしまうのである。

人間は、
あまりにもその行動が
普通になってしまうので、
本当は罪(または苦しみ)であるはずの行動が、
軽々しくなってしまう場合もある。

今回僕が
「イイネをもらうと嬉しい」
という反応が起こるのもそうである。
経験が染みついて、心がガッチガチに
そう思うように育ってしまったのだ。

これは、長い年月をかけて、
心の思い方から治していかなければならない。

というわけで、
今回のブログはこれにて終わります。

ありがとうございました。
また次回もぜひ見てくださいね(^^♪

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