【釈迦の教え】仏教の「中道」について説明します【八正道】

2023年12月23日

どうも光彦です。

仏教には「中道(ちゅうどう)」という教えがあります。
これは、仏教を実践するうえで欠かせない教えではありますが、
非常に実践が難しいものでして・・・
要は
「対立した矛盾する立場のどちらにも偏らない
中立の立場を貫くこと」です。

中道を具体的にどう実践するかを示したものが
「八正道(はっしょうどう)」
というものらしいのですが・・・

今回はそれについては説明しません。

(※八正道について調べたい方はこちら→ウィキペディア「八正道」

今回は「中道」がどういうものか?
どんなメリットがあるか?
これを
わかりやすく説明します。

仏教の「中道」について説明します

「中道(ちゅうどう)」とはなにか?

この中道というものは

図にすると非常にわかりやすいので
図にしてみました。
ごらんください。

↑この図では、
仮に「好き」と「嫌い」を用いて説明しています。
このまま「好き」と「嫌い」を例にして
中道を説明させていただきます。

仏教には「貪欲」を禁じる教えがあります。
三毒である
「とん・じん・ち」の「とん」が貪欲になります。

貪欲とは「執着」でもあり「我執」でもあり
「固執」「愛欲」でもあります。
まぁどの言葉も
根本的に見れば意味は同じだと
思ってもらって構いません。

「物が欲しい」
「人恋しい」
「性欲を満たしたい」
「お金が欲しい」
「名誉が欲しい」
「休みが欲しい」
全部ひっくるめて

「貪欲」(図で言うところの好き)になります。

これが逆(嫌い)でも「貪欲」になります

「物はいらない(ゴミを捨てたい)」
「人付き合いに疲れた(孤独が欲しい)」
「性欲は欲しくない(感情ではなく理性を尊重したい)」
「お金もいらない(人に分け与えたい)」
「名誉もいらない(愛や真実が欲しい)」
「休みはいらない(働きたい)」という感じで、

対象に嫌悪して拒否しても「貪欲」(図で言えば嫌い)です。

で、ここで図をもう一度見てほしいのですが・・・

↑「好き」に傾いて「嫌いが見えてない」状態でも煩悩で、
「嫌い」に傾いて「好きが見えてない」状態でも煩悩になります。

中道に立てば「好き」「嫌い」両面が見えている状態であり、
この「中道」が悟りの範囲ということになります。

ただし
「中道が好き」だという
状態も中道ではないわけです。

中道にこだわっても「中道」にはなりません。

「好き」な人の「嫌い」な面を無理やり探したとしても、
「好き」から脱することは難しいですよね?
そういう意味で、一度煩悩の範囲に入ってしまった場合
中道に戻すことはなかなかできません。

ただ、これは仏教を理解するうえでも
すごくわかりやすい説明になります。

それ以外でもこの中道の学問を理解すると、
まだ僕にもその効果は発見しきれてないですが、
現時点でも効果について
わかっていることがいくつかあるので
事項で解説します。

「中道(ちゅうどう)」を理解するメリット

僕は中道の理論は理解できましたが、
この中道の活かし方(メリット)については
まだ勉強中です。

ですが、現時点でいくつかわかっていることがあります。

まずひとつに、

1番

1.「自分の内面を観察する」のに役立つ

ということですね。

つまり物事の判断基準のひとつになります。

「好き」か「嫌い」か、
どちらかに自分が置かれている状況では
「私は冷静ではないんだな」ということを自分で
認識することが可能になります。

なにかしら行動を起こす時、
「私は今、冷静かどうか?」にできるだけ早く気づけたら、
失敗にも早く気づけますし、
警戒することもできます。

そこに早く気づけることは、
明らかにメリットだと思います。

続いて二つ目は

2番

2.他者の失敗を指摘する時の冷静な判断になる

ということです。

物事は偏った見方をすると当然のことながら、
間違った判断を産みます。

上司が部下の失敗だけを見て部下を判断したら、
部下を責めることしかできません。

これを見抜けば、自分が付き合う人に対して、
「あなたは間違っている」ということを
相手を責めるでも褒めるでもない、ちょうど良い加減で
問題を指摘することが可能になったり、

あるいは
「あなたは素晴しいね、ありがとうね」と
人を褒める基準にもなったり、

「その人とは距離を置こうか」という
判断の基準にもできます。

しかし、相手への「見抜き」ができるのは、
あくまで「自分に煩悩がない」状態の時だけです。

部下に間違いを指摘する時、
憎しみとか、
余計な煩悩が自分にあったら(程度にもよりますが)、
うまく間違いは指摘できませんし、
そもそも憎しみや怒りの煩悩があれば
「指摘すべきかどうか」
の判断もできません。

ですので、

1.「自分の内面を観察する」のに役立つ
2.他者の失敗を指摘する時の冷静な判断になる

ということなのですが、

2番は難しいので、まずは1番を意識することが簡単かと思います。

中道という名前は仮の名前にすぎない

ここはちょっと
理解を深めるために、
追加して書きます・・・

「中道」 という言葉は
「仮の名前にすぎない」はずです。

冒頭の説明では
「中立の立場」
という説明になっていますが、

いったいなにを基準に「中立」なのか?

それは状況によって変わってきます。

3人の人がいて、
1人の人が病気になったら、
その病人になった
1人を、しばらくの間、大事に扱う。

それは煩悩になるのか?
いいえ、
そこにおいての「中道」は
それで正解になります。

このように、状況に応じて
「中道」の基準も変化しています。

中道という名前は、
なにかを代入するための「x(エックス)」の役割であると見て
間違いないでしょう。

さいごに・・・

いかがでしたでしょうか?

今回は仏教の「中道」に関して解説させていただきました。
最後に「関連記事」と仏教に関するオススメの本や商品を紹介させていただきます。

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当ブログをご覧いただき誠にありがとうございました。

また機会がありましたらよろしくおねがいします。

2023年12月23日(土)光彦より

 

 

 



 

 




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