目の前に地雷があればそれを避けて歩くのは当然のことです~逃げるのは恥ではない~
前回のブログを書いている途中で、ちょっと思ったこと。
前回のブログ記事はこちら
↑こちらの前回の記事で僕は、
「X(Twitter)をやらなくなった理由」というのを書いてます。
で、前回のブログを書いている時に新しく書きたいと思った事があるんですね。
それはなにか?結論から言ってしまうと
「別にやめてしまっても大丈夫だよ」
っていう「やめるのが怖い」と思ってる人に対して、
ちょっとメッセージを書いてみたい、ということで・・・
今回このブログでそれを書いてみよう、と思いました。
今回はそこまで力を入れて書いてません(笑)
ゆるーく、よろしくおねがいします。
目の前に地雷があればそれを避けて歩くのは自然なこと
はい。
人は前方に障害物があると、それを避けて歩くものです。
タイトルでは「地雷」になってますが、
「落とし穴」があったりしても避けますし
雨の日の「水たまり」もそうです。
危険があると避けようとします。
でもなにが危険かわかっていない人は、
そのまま危険に気づかずに突き進んでしまいますよね?
人生というのは危険がわからない道の連続で、
危険を避けずに進んでいる状態とも言えます。
もしも危険を知り、その危険を避けたとしても
「私はあの時、危険を避けて正解だったのだろうか?」
と後悔するなんてことも山ほどあります。
ブログ筆者の僕も仕事を退職をしたり
引っ越しは10回以上したり離婚したり、
嫌な人はできるだけ避けたりしながら生きてきました。
結果、損をして後悔の念に精神を追い詰められたことや、
仕事を退職する時に人と揉めて無駄な喧嘩をしたこと等
「やらなきゃよかった」と思うくらいに災難もありました。
だけど、よくよく考えてみれば
人も動物も、本能として、危険を避けて生きるのは、
普通のことです。
地雷があれば、水たまりがあれば、それを回避する。
車を運転する時、前の車にぶつからないようにブレーキを踏む。
それも当然のことなんです。
「逃げるのは恥なこと」だとか
「危険を避けるより我慢していたほうが楽」だとか
「人に迷惑をかけてはいけない」とか
「孤立するのが怖い」とか
自分自身にも欲望があり、
周りからは
「責任を持て」だとか
「自分勝手」だとか
「意気地なし」だとか
「人でなし」だとか
言われるかもしれませんけども
もし、
危険が目の前にあるのを知っているのなら、
そもそも「避ける」ことは自然なことです
危険を避けてこなかったら
私たちは生きてはこれてないはずです。
知らなかったならまだしも、
知っているのなら、
それを避けようとしないのは怠慢にも
なりかねません。
逃げたいから逃げる。
ではありません
危険があったから逃げたのです。
逃げることに
どんなリスクが潜んでいたとしても、
目の前の危険が見えているのなら、
逃げるのは不自然なことではありません。
最後に・・・
今回は書いてみたいから書いてみました(笑)
面白くなかったという人はごめんなさい(;^ω^)
THE HIGH-LOWSの
「青春」という歌に
「渡り廊下で、先輩殴る、身に振る火の粉、払っただけだ」
という歌詞がありますが、
まさに、その歌詞の通り、
危険は振り払うべきだと語ったブログです(笑)
ですが、そういう、根本的な考え方って、
社会の中で忘れられがちになる場面が多くあります。
たとえば社会人の多くは、立場が上だったりすると、
または自分が被害者みたく思うと調子にのって、
自分も失敗するくせに
「失敗する人間」を上から目線で叩いたりしますよね。
もちろん叩いても良いですが相手にも「人権」があります。
叩いたらちゃんと「今回は残念だったけど、まぁ誰にでも失敗はあるからな」とか、
「あなただけじゃなくて、僕も大変な思いをしたことがあるよ、
これから頑張ればいいよ」って、
ちゃんとメンタルのケアをしてフォローしてあげないと
人はロボットじゃないんだから、叩いて終わりは、
相手の尊厳をただ奪うだけの迷惑行為になりかねません。
という感じで、
根本的な考え方も必要です。
「そもそも危険があれば避けるよね」とか
「人間って完璧じゃないよね」とか
すいません長くなりました。今回はここで終わります。
ありがとうございました。
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よろしくおねがいします。
いつもありがとうございます。
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