「会わない人を憎んでも(前編)」と「会わない人を憎んでも(後編)」

2023年8月12日

(12)「会わない人を憎んでも(前編)」と「会わない人を憎んでも(後編)」

2023/08/11「会わない人を憎んでも」

どうも光彦です。

サンドイッチを作って、職場に持って行って休憩の時に食べています。

中身の具材はハムとチーズと炒めたキャベツとツナ、を入れてるんですが‥ツナを買い忘れてしまい、ハムとチーズと炒めたキャベツだけの具材でサンドイッチを作って持って行ったところ、

めちゃくちゃお腹が空いて仕事どころじゃなくなった、今日このごろです。

ツナの存在ってデカいんだなぁと思い知らされました(笑)

今日は「会わない人を憎んでも」というタイトルをつけています。

6ヶ月くらい前?にも僕はYou Tubeで「二度と会えない人を憎んでも、人生のデメリットでしかないよ」という動画を出しました。

それと同じ話を違う言い方で今日は話します。

簡単に言えば、たとえば片想いをしている女性に、愛の告白をして、フられてしまった場合、もうその女性を愛した(憎んだ)って意味がないわけです。

それと同様に、たとえば接客業をしていて、お客様からクレームがあったとして、そのお客様を憎んでも意味はありません。なぜならもう二度と会うことはないかもしれないし、自分の人生に関わることがない人物のことを憎んでも(または愛しても)何の得にもなりません。

失恋もそうです。相手に対して未練があっても、もう二度と会うことができないなら、忘れてしまったほうが幸せです。

失恋した相手を憎んで(または愛して)愚痴っても時間の無駄です。

どうしても憎しみ(または愛しさ)が止まらない場合は、相手のことを「かわいそうな人」だと哀れむ(慈悲の精神を持つ)か、相手を憎む(または愛する)と同時に相手の幸せを願うか、

または「私が幸せになりますように」

「私が穏やかに過ごせますように」

「私が苦しみから開放されますように」

と口に出して唱えたり、心で祈ったりするか、

と、まぁいろいろ方法はあります。

ちなみに憎んだ場合に相手に、復讐するとか、相手と喧嘩するとか、相手のことを怒るとか、あまりそれは意味がありません。意味?というかメリットがありません。

なぜならそれをすることによって「自分が相手を憎むことから開放されるか?」といえば、そうではないからです。

同じように、片想いの相手を、いくら好きだからと言って、ストーカーしたり、帰宅する時に待ち伏せしたりするのは意味(メリット)がありません。

それをしたからといって、相手と仲良くなれることはまずないからです。

いずれにしても、自分の人生は、自分が主人公です。

自分の命は、自分の得をしないことのために、生まれてきたわけではありません。

必ずしも幸せにならなきゃいけないというわけでもありませんが、とにかく人生は時間が限られていて、私達はいつか死んでしまうので、

自分にとって何のメリットもない相手への復讐とか、独りよがりな執着心のために、時間を使うのは、もったいないですから。

もし心あたりのある人は、自分の人生の時間を、もっと有意義に使う努力をしてみてください。

僕もまだまだ、自分の時間を有効に使えるような生き方ができてませんが、今後も努力していきます。

 

ありがとうございました。

2023/08/11(金)光彦より

 

 

2023/08/12「会わない人を憎んでも(後編)」

どうも光彦です。

自転車という乗り物にも、「洗車」は必要だと最近感じます。
とにかく手が汚れます。
鍵を掛けたり、鍵を外したりする動作で、指が黒くなります。
指が黒くなったら、たとえばコンビニや薬局のレジの店員に僕の手が黒くなっているのを見られて、嫌な顔をされるリスクがあります。

それはこちらとしても、不愉快です。

また、自転車に乗るとズボンが自転車の本体と擦れて、ズボンが汚くなることがたまにあります。

そんな時「あー自転車も洗車しなきゃダメなんだな」と感じます。
手の汚れに関しては、自転車に乗る時だけグローブを付けて乗れば防げますが、ズボンはなかなか難しいかと思います。

話しが長くなりました。今日は「会えない人を憎んでも(後編)」の話をします。

人を憎んでも意味がないとはいえ、一度憎んだ気持ちはなかなか消えません。僕だってそうです。簡単に過去の嫌な思い出を拭い去ることができたら、トラウマも存在しないし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)にもなりません。

うつ病になる人は多くいます。統合失調症になる人もです。
その症状と「憎しみ」や「愛する気持ち」は切っても切れない関係で、

つまり「憎しみ」や「愛しさ」の感情を乗り越えるのがいかに難しいかを、精神病は物語っています。

ですから、ゆっくりゆっくり時間をかけて、
「憎んでも(または愛しても)意味がない」ということを学習していくしかありません。かなり時間はかかります。

ここで、ちょっと変化球な話をしますが、
「憎しみ」があるならあるで、それを利用する方法もあります。

たとえば「ライバルに勝ちたい」時です。

マラソン大会で優勝したい、でも練習はサボりたい、という時に

「練習をサボったら、自分のライバルに勝てない、ここで練習することによってライバルに差をつけられる」という野心が芽生えるのであれば、

「ライバルを憎む」というのも有効です。
その場合の「憎しみ」って、あんまり強い憎しみではありませんけど(笑)

同じように原動力としての「憎しみ」は素晴らしいものがあります。
自分の過去を憎む(または愛する)ことで、今を大切にできるのであれば、それを利用しても良いでしょう(ただし過去に縛られる生き方には賛同できません)。

そうやって利用してしまうことによって、
「憎しみ」は消えやすくなるので、
結局はその方法でも憎しみがなくなるので、良きと思います。

今日はこのへんで、終了します。

読んでいただきありがとうございました。

2023/08/12(土)光彦より



 

 




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