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(21)【トロッコ問題】「トロッコ問題、選択できることの幸せ」【見捨てることに目を向ける】
トロッコ問題とはなにか?
どうも光彦です。
本日は「トロッコ問題」について語りたいと思います。
まずトロッコ問題とはなにか?について説明します。
トロッコ問題とは??(ウィキペディアより)
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。
このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに
避ける間もなく轢き殺されてしまう。※画像の人数は、上の線路に人が2人ではなく5人いるものとして見てください。
そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。
しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、
5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?(引用元はこちら→ウィキペディア「トロッコ問題」)
つまり「5人を助けるために他の1人を殺してもよいか?」という問題です。
必ず5人が死ぬか、1人が死ぬかの状況で、主人公であるあなたは、どちらかしか選択できません。
ちなみに「なにもしない」ということは、5人が死ぬ選択になります。
この問題に「正解」はないと言われています。
多くの人は「1人を犠牲にして5人を助けるべきだ」という選択をするようです。
一見、5人を助けるほうが正解に思えますが、
①もし線路にいる1人が自分の愛する人、または肉親だったり自分と関係深い人物である場合、
1人を助けて5人が死ぬ選択をする、というのも有りです。
または
②「私にはこのトロッコの方向を切り替えることはできるが、私はこの選択肢を選ぶ規範がない」というのであれば、
なにもせず5人が死ぬのを見届けるのも有りです。
つまり②は「マニュアルがないから動けない」という意見ですね。
光彦のコメント~選択できることが幸せである~
どうも光彦です。
ここからは僕がトロッコ問題に対して、
自由に語らせていただきます。
このトロッコ問題のような極端な状況は現実では体験できないと思います。
しかし、「どちらを選んでもデメリットはあるけれど、どちらかを選ばなければいけない」という状況は、
現実世界にいくらでもあります。
たとえば・・・
みたいな状況ですね。いやこれは、あんまり経験しないか(;^ω^)
ではこんなのはどうだろう??
やってみないと利益が出るかどうかもわからないので、やるという道を選ぶか?
そういう状況はリアルにあるんじゃないでしょうか?
そう考えた時に、僕が思うのは
「選択できるって幸せだよね」ということ。
現実世界では、寝てても起きててもぼーっとしてても、気絶してても時間は勝手に流れています、その中で「選択肢があるのにも関わらず、選択肢に気づかないで問題をやり過ごす」ということもたくさんあるわけですから。
たとえば友達が愚痴を言ってきた場合、「助けて」のサインを送ってきているのに、無視するかのように流してしまうとか、
「そうだね、そんなことよりさ」とか言って違う話題に変えてしまうとか・・・
そうやって選択肢が迫ってきてるのに、向き合えないパターンがありますよね。
真剣な話を冗談だと捉(とら)えてしまったりね。
そうだから「迷わず選択できるって幸せだなぁ」と、僕は感じたわけです。
全てを助けようとすることで、失敗することもある
もう少し話は続きます。
前述のように「選択肢があるのにも関わらず、選択肢に気づかないで問題をやり過ごす」時もありますが、
人はロボットではありませんので、善意も正義感もあります。
ですので、選択肢を選ばずに、みんなが幸せになる形に持っていこうと考えることも多くあります。
僕の前回の日記「日記メモ13「妻子2時間ほったらかし…高橋源一郎(毎日新聞)」2023/09/11【人生相談】」では、
という感じで、夫は「皆のためにやったのに」と言ってます。
全員を救おうとして、結局、妻を傷つけています。
「ここは捨てて、ここは助けよう」と選択することもできたはずなのに、全員を助けようとして、失敗しているんです。
優柔不断というやつですね。僕もよくあります(笑)。
「救う」ことに焦点が向きがちなんですよね、
「見捨ててもいいことはなにか?なんだったら見捨てることができるか?」に目を向けるということも、大切だと気づかされます。
というわけで今日はこのへんで終わりにさせていただきます。
お読みいただきありがとうございました!
次回もぜひ見てくださいね。
2023/09/13(水)光彦より
※ちなみに僕はトロッコ問題に関しては、1人のほうを死なせて、5人を助けます。