どうも光彦です。
今回のブログはちょっと、
頭の中で出てきたアイデア?
と言いますか、
ちょっと
なんで僕もこんなことを考えているのか・・・
よくわからない部分があるのですが(笑)
なんか考えたので、ブログにします。
1円玉を拾う、もしくは盗む罪は問題になるのか?
罪の定義について
というわけでタイトル通り、
「一円玉を拾う罪は問題になるか?」
ということについて
ここで、罪の定義をはっきりさせて
おきます。
ずばりそれは
「法律違反」
「人を傷つける」
「嘘をつく」(詐欺)
「盗む」
「殺生する」
「浮気する」
とかですね。
仏教、密教で言えば、
体が犯す罪、
口が犯す罪、
と心が犯す罪、
とあります。
キリスト教のことは詳しくないですが・・・
七つの大罪は有名ですので、
その七つをここに記載しておきます↓
「傲慢」
「強欲」
「嫉妬」
「憤怒」
「色欲」
「暴食」
「怠惰」
ですね。というわけで罪の確認終わります。
1円玉を拾う罪、1円玉を盗む罪を考える
まず、1円玉を拾う、
または盗むのは、
罪と思いにくいです
理由としては、
「誰の迷惑にもならない」からです。
でも、盗むということは罪であるはずです。
ですから、罪は罪なんですよね。
ここで「罪ってなんのためにあるんだ???」
ということになりますね
罪は悪いことのはずなのに、
悪いことにならない罪があるということにおいてね。
ただし、
たとえば1円玉を拾うのに、
「1円以上のコストがかかっている」のは確かです。
ということは、
一円玉を拾うことは、確かに罰があるわけです。
自分の肉体に1円以上の負荷がかかっているわけですから。
でもそれが罪と言われてもピンときません。
それは1円玉を拾った本人が、
1円玉を拾うことを、
罪に感じてないからです。
それと、周囲の人の目から見れば
一円を拾うのも
ゴミを拾うのも
ほとんど変わりありません。
ですから、普通の人が1円を盗む、拾うのは、
あくまで周りの目からすれば
「ゴミ」を拾ったにすぎません。
そして当人に罪を犯そうだなんて
意識もないはずです。
では、
200円しか持っていない10代の子供が、
201円の商品が欲しいとなった場合はどうでしょう??
「1円玉」が足りないことになります。
そうなると、
その10代の子供からすれば
「1円玉を盗みたい」という心の罪が生まれます。
つまり「1円玉が欲しい」という
欲望がここで生まれます。
普通の人はその心の罪がありません。
なぜなら「1円玉」はいらないからです。
欲しいとは思ってないからです。
なんなら1円玉くらい誰かにあげても、
大丈夫とまで思うでしょう。
しかし、その10代の子供は、
「1円玉が欲しい」ために罪を犯すことになる可能性があります。
201円の物を買うために、1円玉が足りないからです。
ここで
「1円玉を拾うこと、盗むことが罪になるか?」
ということが、急に現実味が出てきます。
1円玉のために、悪を働こうと
10代の子供は企むわけです。
もしかしたら、201円の商品を、
万引きしてしまうかもしれません。
こんなふうに思えば、
「1円玉を盗むことの罪」は、
罪であるかどうか?
がはっきりしてきます。
結論を言えば・・・
落ちてる1円玉を拾っても
ゴミを拾ったと認識されるがために
はっきり罪とは言えないが、
その1円玉のために、
罪を犯すことになるなら(万引きや盗み)、
罪になるだろう・・・
ということになります。
ちなみに1円玉を1枚製造するのに、
1円以上のお金がかかっています(笑)
関係ないですが('ω')
お読みいただき、ありがとうございました。
本日はこのへんで、
話を終了させていただきます。
余談ですが「小さい善行」は「善行」と見なされるのか?
という理論も僕なりの意見で書こうと思ってました(笑)
でもこの記事に関して言えば、
ここで終わるのがシンプルでいいかなと思いましたので、
やめときます。
またご縁ありましたら、
次回もよろしくおねがいします
光彦
2023年12月7日
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